あいち障害者センターに筋ジストで、電動車いすを使い、夜間就寝時には人工呼吸器を使いながら、重度訪問介護を利用して自立生活する名古屋市在住の中野まこ さんからコロナ感染の経験がよせられましたので紹介します。
「重度障害者が新型コロナウイルス陽性になり入院したら」
中野まこ
1.コロナ禍に振り回されて
私はウルリッヒ型先天性筋ジストロフィーという難病があり、電動車いすを使い、夜間就寝時に人工呼吸器を使いながら、夜間も含め長時間見守り介助も可能な重度訪問介護を利用して自立生活をしています。大学進学を機に地元の山口県から愛知県に来て、介助を使いながらの自立生活は2022年の4月で13年目になります。大学卒業後は、豊田市にある当事者団体(自立生活センター)に所属し障害のある人の自立支援や権利擁護活動等を行っています。
筋ジストロフィーは全身の筋力低下や呼吸機能の障害を引き起こします。握力は両手ともに3kgほどしかありません(新品のペットボトルは開けられません)。身体の可動域が狭く、手先は顔のあたりまでしか上がりません。手が届く範囲にパソコンやスマホを置いてもらえれば自分で操作ができます。また車いすとテーブルの高さが合えば食事も自力で可能です。調理、衣服の着脱、整容、トイレ、入浴などADLは全介助ですが、介助が必要なことは言葉で介助者に伝えサポートしてもらっています。このように私のできないこと(機能障害)は、重度訪問介護の介助サービスや、電動車いす、人工呼吸器などの機器を使用することで軽減され、当たり前の生活を送ることができています。しかし、新型コロナウイルスは私の当たり前の生活を一変させました。
コロナ禍になりみなさんも様々な制限を感じながらの生活を送られていると思います。行きたいときに行きたいところに行けない。自粛しなければならない。これは、自分の意思とは関係なく長期入院、施設入所を強いられている障害のある人や、必要な時間数の介助を保障されていない障害のある人の生活と同じだと思います。コロナ禍以前に障害のある人の生活はそもそも様々な制限を受けていて、すでに「コロナ禍」だったわけですが、自立生活を始めた私は、そういった制限されてきた生活のことを忘れかけていました。
休みの日は出かけることが好きな私。コロナ禍になり、介助者のことを考えると出かけることにプレッシャーを感じるようになりました。一人暮らしではあるけれど、私だけの生活ではない。毎日複数人の介助者に支えられ、毎週十数人の介助者が入れ替わり来てくれます。感染させるかもしれない、感染させられるかもしれない。最低限の外出と、できる限りの感染対策をして、日々緊張が解けない生活を送るようになりました。
2.重度障害者が新型コロナウイルス陽性になったとき
コロナ禍2年目の2022年になって半月が経ったころ、唾石症という病気が見つかり手術をすることになりました。手術の影響からか身体も弱っておりしばらく体調が優れませんでした。1月22日(土)、喉の痛みを感じたため、念のためかかりつけ医の訪問診療の先生に依頼してPCR検査を受けたところ、翌朝23日(日)に陽性という連絡を受けました。「まさか自分が」という言葉が頭の中でいっぱいになりました。すぐにヘルパー事業所に現状を伝えました。その日は1日中介助者がいるシフトの予定でしたが、急遽「2時間おきの10分程度の派遣」という最低限の介助をしてもらうことになりました。不安でそばにいてほしいけれど、感染させてしまうかもしれないと思うと、そうするしかないと思いました。
また保健センターとは陽性とわかってかかりつけ医を通して連絡をしていましたが、直接つながったのは23日の夕方でした。保健センターからは、体調のほかに普段の生活や仕事のことを聞かれ、筋ジストロフィーで呼吸器疾患があること、普段介助者に来てもらいながら一人暮らしをしているが、陽性になったことで介助派遣が難しくなり生活全般が成り立たなくなることなどを伝え、できるだけ早く入院させてほしい旨を伝えました。その頃は愛知県でも感染者数が急激に増えてきたころで、入院調整に時間がかかるかもしれないという返答でした。結局23日、24日は入院できませんでした。
ヘルパー派遣の方は、利用している2つの事業所のうち1つの事業所の介助者全員が私と濃厚接触となったため、介助に入れないことになりました(公共交通で通勤してくるため)。1つの事業所で介助の調整をしていただくことになりましたが、介助者もそれぞれの生活があり介助に入ることに不安を感じる方もいらっしゃったそうで、夜勤帯の介助者を確保することが難しいということでした。私自身も、「もし感染させたら…」という不安もあり、夜間は一人で過ごすことに決めました。夜勤の人がいないのは自立生活をして初めての出来事でした。ベッドに移乗して人工呼吸器をセットしてもらい介助者には帰ってもらいました。普段であれば、必要な時に呼べばすぐに来てくれて体位交換や喀痰の介助(カフアシストという機械を使用)などをしてもらうのですが、朝まで同じ体勢で、痰を出したくても自力でするしかありませんでした。喉が渇いても水分補給もできません。ベッドに横になってしまうとスマホを触るぐらいしかできないため、朝まで不安で眠ることができませんでした。24日も入院できないとわかったため、介助者がいる日中に寝て、夜間は車いすに乗ったまま過ごしました。24時間対応の訪問看護も利用していましたが、「緊急事態のみ対応」と言われ、不安な気持ちだけで訪問依頼はできないと思い、頼ることはできませんでした。
症状は時間が経つにつれ重くなっていきました。喉の痛みのほかに、鼻水、咳、痰絡み、発熱、頻脈などがありました。SpO2は96~99で正常の範囲ですが波があり、呼吸器疾患があるためいつ急に低下するのか不安でした。解熱剤を服用しても一時的に熱は下がるものの、切れると39度台まで上がってしまいます。陽性とわかって3日目の25日になっても保健センターから入院案内はありませんでした。体調が悪化することで不安も増して、日中も人工呼吸器をしなければ呼吸がしづらくなってきました。少し前に知り合いの車いすユーザーから陽性になった際に救急車を呼ばなければ入院できなかったという話を聞いており、私も救急車を呼ばなければいけないのか、と思い始めました。SpO2は正常範囲で、私はまだ軽症の部類で、私よりももっと重症の人もいるかもしれない。その中で救急車を呼んで良いのだろうか?と色々な思いが巡りましたが、考えることもできなくなってきて、25日の午後に119番通報し、搬送された病院に入院できることになりました。
3.コロナ病棟での入院生活
日本全国の医療機関が緊急事態の中での入院生活では様々なことを考えさせられました。隔離、陰圧室という特殊な環境の中、日常生活に介助が必要な人が入院した場合、どこまで介助を受けられるのか不安でした。車いす対応のトイレには行けないとのことで、おむつでの排泄でした。看護師不足、できるだけ接触を減らすなど、コロナ禍で緊急事態ということは理解していますが、濡れたおむつを数時間履いたままでいなければいけない状況は、とてもつらいものがありました。さらに、確認なく異性介助もありました。コロナ禍でなくても、施設等では平然と意思とは反する異性介助が行われている現実があります。その点についても考えさせられました。
また普段使っている人工呼吸器やカフアシストは、ウイルスを拡散してしまうため入院中は使用できないと言われました。そのため病院側が準備した人工呼吸器を使用することになりましたが、似ている設定とはいえ、自分のものではない機械を使う怖さがありました。人工呼吸器ユーザーは、自分の人工呼吸器を使えないかもしれないということを知っておいた方がいいでしょう。
入院できたことで、必要な治療を受けることができました。コロナウイルス対応の中和抗体ゼビュディ点滴を翌日に行ない、それから症状が緩和してきました。本来であれば入院3日目には退院させるという方針だと言われましたが、隔離期間が終わらないと介助派遣ができないということを伝え、隔離解除になる2月1日に退院することができました。
退院に向けてヘルパー派遣事業所とのやり取りは、退院支援を行っている病院の機関が行ってくれていましたが、私の方に情報が回ってこないことが多く、わからないことも多かったです。隔離病棟なのでそういったやり取りも難しいのでしょう。
4.重度障害者がコロナ陽性になって感じたこと
実際に自分が新型コロナウイルス陽性となり入院したことで、様々なことに気づかされました。重度障害者が介助をつかって一人暮らしをしていることが保健センターや病院等にはまだ浸透していない、介助が必要な障害者がコロナ陽性になり介助派遣ストップになった場合のことを自治体は考えていない、ということなどを痛感しました。日本は家族介護が当たり前という風潮がいまだにあります。しかし家族以外の第三者のサポートを受けながら生活をしている人もたくさんいるのです。濃厚接触期間など様々なルールがありますが、介助がなければ、トイレに行けず、水分補給もできない人がいるのです。濃厚接触になっても介助に入ってくれた介助者に対しての報酬加算など、介助者を守る仕組みも国として考えなければいけないでしょう。
重度訪問介護の素晴らしさと必要性を改めて感じました。必要なときに必要なサポートが受けられること。それがあれば、私は安全に当たり前の生活を送れるのです。
2022.04